ようやく、過ごしやすさを感じる季節になりました。今年の夏は猛暑だっただけに、新型コロナウィルス感染拡大防止に気遣う日々を想うと、過ごし易さを感じる日に安堵しています。

 

 しかし、これからはインフルエンザにも注意しなければなりません。感染したとき、どちらも症状が同じと言われています。すると、この秋冬は健康を維持し、インフルエンザを寄せ付けない対応をとることが大切です。十分な睡眠、食事による栄養補給を心がけ乗り切りたいと想っています。

 

 さて、令和2年8月17日、学校法人畑佐学園 神明幼稚園の創設者(初代理事長・私の父親)畑佐新次郎は、93歳の生涯を全うしました。
 

 大正15年10月、岐阜県大垣市に小売商「かめや」の六人兄弟の次男として生まれ、幼いときは弟を背中に背負い遊んでいたと話していました。幼いときから体力には自信があったそうで、第二次世界大戦では兄に替わり予科練へ志願、広島県呉の海軍兵学校ではランニング訓練の先頭を走っていたそうです。人間魚雷訓練中に終戦となり一命を取り留めたと話していました。
 

 戦後、昭和22年に東京へ出て警視庁巡査となり、苦学して大学法学部にも通い学士を取得しています。東京・亀戸に居住し、警視庁25年勤務、昭和42年12月に船橋へ転居し、昭和43年4月に神明幼稚園を設立し、昭和50年から学校法人となり、平成13年に退職しています。
 

 幼稚園を始める経緯は、東京・荒川区の荒川警察で捜査を担当していたとき、西日暮里の道灌山幼稚園及び道灌山学園保育専門学校を巡回訪問したことと話していました。
 

 昭和30年代から40年代は高度成長時代でしたが、治安が悪く窃盗・放火などが数多く有り、逮捕しても犯罪が減ることはなく、幼児教育の大切さを感じ、道灌山学園・故高橋系吾先生の教えを請うて船橋へ移り住み、神明神社の境内を借用し神明幼稚園を開園したのです。昭和43年4月に開園した時は全園児17名でした。今では、卒園生6,698名に至っています。
 

 開園当時は、県道船取線、市場通りもなく、東船橋駅もなく、田畑や森が広がる場所でした。神明幼稚園を開園する前までは、魚釣りが趣味の父親と、亀戸からトロリーバスに乗り、江戸川区の今井橋付近でハゼ釣りを楽しんでいました。また、昭和30年代の亀戸には草野球を楽しむ場所があり、父親とキャッチボールもしていました。近くには、亀戸天神様があり、親子で歩く散歩コースになっていました。当時の東京下町では内風呂を持つ家庭は少なく、近くの銭湯へ行き、大きく感じた父親の背中を流したものです。家族で富士登山をしました。1964年の東京オリンピックを見に行きました。1970年の大阪万博にも行き人混みの中で「月の石」も見ました。
 

 私が小学生のとき、祖父の生まれ故郷・岐阜県郡上市明方(みょうがた)「畑佐」という場所へ行きました。「畑佐」の名字を持つ人しかいない村で、長良川の支流・吉田川で鮎釣りを楽しんだことを覚えています。今でも時折、岐阜県郡上市を紹介するテレビがあると釘付けになります。
 

 子煩悩さを感じる父親でしたが、幼稚園を始めると、出かけることは少なくなり、食卓では幼稚園園児たちが成長している話を聞いていました。「園児のひとりが、逆上がりができた」「園児たちはピアニカやハーモニカが上手になった」「道灌山学園保育専門学校の教育は素晴らしい」など、園児たちの成長や、恩師の教えを忠実に実行する父親の姿を見ていました。当園が制作している手作りの「大型絵ばなし」は、道灌山学園の教え、父親の教えを受け継ぎ、現在でも園児たちに楽しんでいただいています。


 そのような環境の中で、私は大学を卒業後、道灌山学園保育専門学校へ通うようになり、幼稚園教諭免許を取得したのです。私が幼稚園に関わるようになり、道灌山学園保育専門学校で指導を受けた先生(筑波大学付属小学校教諭・故古屋三郎先生)から、筑波大学で研究発表及び講演会をさせていただいたのも、「父親の功績の賜物」と想っています。体育館玄関に掲示している、文部科学省公認団体・(財)日本教育研究連合会からいただいた「健康と安全のための幼児体育」の賞状と、傍らに掲示する「筑波大学附属小学校体育館での研究授業の写真」がその当時を物語っています。


 振り返ると、父親と長男との関係には、深いつながりを感じます。父親に反発することが多くありましたが、今は、父親と同じような生き方をしていると想うようになりました。
 

 父親であり、先代の理事長の陰を慕いながら、子どもたちのために、これからも頑張りたいと想っています。(園長)


 ひまわりが咲き、セミが鳴き、毎年繰り返す猛暑の夏になりました。暑さだけならば、涼しさを求める手段は数多くあります。しかし今年は、新型コロナウィルス感染拡大防止対策が加わり、マスク着用、ソーシャルディスタンスなど、気を遣うことが増えています。

 

 この病気は「若者は軽症、高齢者は重症」と言われていますが、幼稚園は大人と子どもが集団で過ごす教育機関です。子どもたちに迷惑をかけないためにも、教職員がコロナに感染しないことを心がけ教育活動を行う所存です。父母様も、毎日の健康チェックを実施し感染予防対策をお願いします。
 

 当園からクラスターを発生させないことを心がけ、秋の最大行事「運動会」を行うための準備を開始します。

 

 さて、コロナに対する政府の対応は、4.5月頃と現在を比較すると明らかに違いがあります。4.5月は感染拡大を阻止するため、幼稚園や小中学校の休園休校要請、県をまたいだ移動自粛の呼びかけがありました。しかし現在は、GoToトラベルがあり、大相撲やプロ野球などは観客の人数制限はありますが、実施するようになっています。
 

 政府のコロナ対策は、「コロナが蔓延しても生活を止めない」方針に変化しています。すると、「コロナ対策は個人や家庭、あるいは各事業所でお願いします」としていることになります。コロナ禍後の世界が、リモートワークに変化したことよりも、コロナ禍後の世界は「自己責任の時代」に変化したのです。
 

 私は、この時代を「グループ航海時代」と解釈しています。
 

 最新の船は、大海原に位置していても、GPSやレーダーを駆使し、現在地あるいは仲間の船の位置が判り、座礁することがないように設計しています。このような機器がない時代は、羅針盤や海路図などを基に航海をしていました。その昔の航海は、「迷ったら陸地を探せ」あるいは「母港に戻れ」が基本行動だったようです。

 

 そう思うと、今回のコロナウィルスは、迷走している船を「どのようにして正常な航海に戻すか」が問われています。最先端の科学を駆使し、ウィルスに負けないワクチンを開発することで迷走する船を前進させようと考える人がいます。前進させることには危険があるため、嵐が去るまで母港に戻ろうと考える人がいます。現時点で、どちらが正解とは言えない状況です。母港に戻るとは、家庭クラスター防止、職場内クラスター防止などを行うため、家庭内、職場内の点検と心構え対策を実施することです。
 

 75年前、日本に舵を取る船は、国家主導の「日本丸」しかなかったため、戦争という無謀な航海を国民に強いていました。しかし、75年後の今日は、日本丸以外に、各家庭や各職場が小さな船を持っていて、方向性を各自で選択出来るのです。
 

 現在、インド洋のモーリシャス諸島で日本のタンカーが座礁し、原油が流出、近隣国に多大な迷惑をかけていますが、最後は人海戦術のようです。過去を振り返ると、生活様式が多様化することで、今までの日本文化を大切にするのか、他国文化を真似て日本丸の舵取りをするのか、国家自体が模索していたような気がします。
 

 江戸時代から明治時代に変化するとき「開国鎖国」「尊皇攘夷」で日本国民が争った時代に似ています。
 

 幼児教育でも、刻々と対応が変化しています。


 平成元年度の幼児教育要領に「言ってはいけないこと、してはいけないことがあることに気づく」という文言がありましたが、現在は「良いことや悪いことがあることに気づき、考えながら行動する」に変化し、各自の対応に任せています。すると、「暴力を振るわれたので、考えた結果やり返した」という理論が、一時的であっても成り立ってしまいます。この理論を国家に当てはめると、大変なことになってしまいます。
 

 江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と、国家が選択した施策の比較は出来ませんが、今まで行ってきた事象の検証をしないまま「新しい時代」の対応に追われることが多くなっています困ったら母港に戻る。困ったら家庭に戻る。困ったら身近な仲間でグループを作り行動する。これが生活の原点になるべきと思っています。
 

 当園でも、コロナ対策、熱中症対策を行いながら、運動会など様々な教育活動を実施する所存です。ご家庭でもコロナ対策を行い、子どもたちの健康管理をお願いします(園長)

 日本は雨が多いことで飲料水が確保され、豊かな農作物の収穫があります。しかし最近は、異常気象により線状降水帯が発生し被害をもたらしています。
 

 今年は九州各地で河川の氾濫があり、岐阜県でも甚大な被害がありました。日本は、江戸時代から「川の氾濫」に悩まされてきました。政治や行政は「最低限の生活を確保する」ためにあります。水害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、一刻も早い復旧復興をお願いします。
 

 さて、新型コロナ感染防止対策に頭を悩ます昨今ですが、世界でこれほど対応が異なるとは思っていませんでした。
 

 7/12現在、米国では感染者324万人/死者13万人、ブラジルでは感染者183万人/死者7万人、イギリスでは感染者28万人/死者4万人が発表されています。世界にはマスクをしない文化、人に感染させないようにする気遣いの文化が欠けているように思います。また、感染拡大している国は、相対的に「個人主義の強い国」のようです。今後、アフリカにも蔓延すると言われています。
 

 日本が終息出来ても、世界で蔓延していれば 2020東京オリンピックは「幻になる」可能性が大きいと思います。是非、コロナが終息し、東京オリンピック開催を願っています。
 

 このよう状況の中でも、米国、中国、東南アジア、中東、オセアニア、ヨーロッパ、ロシア、南米などの国々と貿易をしなければなりません。単純に考えれば「無理」という言葉が出てしまいます。しかし、昭和20年に日本全国「焼け野原」になり70年かけて今日を築きあげてきました。「時代が違う、状況が違う」と出来ないこと述べれば「キリがありません」日本は、「出来ないと思われたことを実行してきた団結力のある国」なのです。
 

 昨今は、若者と戦後を作り上げてきた人たちの考え方にギャップがあるようです。コロナ対策でも、若者は軽症、老人は重症となり「弱者を気遣う行動」が求められています。また、「7/1からレジ袋有料化」も海洋生物を保護する観点で必要な施策です。すると「自分に厳しく、他人や環境に優しい社会」がキーワードです。
 

 昔の日本には「忠義を尽くす」という言葉があり、「自身の欲を捨て、相手に尽くす」文化がありました。思うようにならなくても、たとえ裏切られても正義を貫く気持ちを持ち続けるのが日本人と教えられてきました。
 

 コロナウィルスが感染拡大し、医療従事者の心労は増しています。ナイチンゲールや野口英世の気持ちで医療に取り組んでいます。「医は仁術」であるとともに、地球上の生き物に対しても「人間は心で接する」必要があります。
日本はGNP世界第3位になりましたが、世界平和を願う気持ちは、世界第1位と信じています。

 

 コロナ対策だけではなく、戦後70年100年後に「世界平和のリーダーになること」が先人たちの想いだったと信じ、それを裏切らない行動をとることが、現代を生きる日本人の役目と思っています。