幼稚園の西門付近の花壇にコスモスの花が咲いています。今年は朝顔栽培が出来なかったことで、ご家庭でコスモス栽培をお願いしました。その際、幼稚園でも花壇に種を蒔き、今、花が咲いています。
 

 10月はチューリップ栽培を開始し、子どもたちの植木鉢が体育館前に並んでいます。クラス毎にヒヤシンスとクロッカスの水栽培もしています。当園の教育目標に「動植物を可愛がる、優しさのある子に」があり、四季を楽しみながら、優しさも育てたいと思っています。
 

 晩秋になりましたが、これからは、神社境内で焼き芋をしながら、友だちと一緒に秋を感じ、日本人としての感性を養いたいと思っています。
 

 また10月は、第3グラウンドで初めての運動会を行いました。新型コロナウィルス感染拡大防止対策として三密を避け、学年ごと、種目精選、参観は家族1名となりました。それでも、子どもたちからは、今まで以上の元気を感じました。子どもたちと応援する父母様との距離が短く、間近での応援に、応え易かったのかも知れません。
 

 子どもたちには「家族の期待に応えたい」という気持ちがあります。変わりゆく世の中ですが、幼児教育とは、変わってはならないものを指導することが大切と思っています。秋の深まりとともに、今まで以上に「心のふれあいを深めたい」と思っています。
 

 さて、先月の園だよりで、しんめい幼稚園の出発は道灌山学園・故高橋系吾先生から教えを請うたことをお話ししました。そこで、私(園長)が、高橋系吾先生から生前にお話いただき、記憶に残ることを、以下に記載させていただきます。以下、高橋系吾先生が出筆された著書「人間性と動物性」からの抜粋です。
 

 人間性の反面は動物性です。世の中の良い人、常人、悪い人は次のように考えられます。

 

 「良い人」は人間性が豊かですが、時に欲望も有り動物性も見られることもあります。人間性の多い人は信頼され、社会の光となり、「あの人、良い人」と言われ尊敬される人です。

 「常人」といわれる人は、人間性と動物性をそれぞれ持っていて、良いこともするが悪いことをする弱さを持ち、人間性が動物性を抑えています。

 「悪い人」は、心の中をほとんど動物性が占め、後悔したり、反省したり
するときには人間性も見られます。

 

動物性はトラやライオンやヒョウと同じですので、人を傷つけ殺人を平気でやる犯罪者の心は人間性を失っています。
 

 家庭教育の忘れ物は、この人間性の芽を幼児教育から小・中・高校の教育を通じ、その上の専門教育、社会教育、生涯教育の間に育成し、人生の目標とすべきです。
 

 よい子の育つ家庭教育を考えますと、学歴が高いという条件でもなく、また、身分の高い家庭でもありません。両親が互いに信頼し合って、心豊かな家庭からは、必ず良い子が育っています。これは、長い教育生活で得た尊い経験です。この考え方を「心育学(高橋系吾先生が考えた言葉)」といい、心育学の根本は人間性の育成になります。
 

人間性のある人
 1.親切でである
 2.根気が良い
 3.困っている人を助ける
 4.返事、挨拶が明るい
 5.よく我慢する

 

人間性の育て方
 1.良いと思うことを気付いて行う
 2.返事、挨拶を忘れない
 3.友だちが多く、仲良く遊ぶ
 4.運動や遊びをたくさん行う
 5.友だちを親切にする
 以上が、高橋系吾先生の著書「人間性と動物性」の抜粋になります。(上記表参照)

 

 警察官をしていた私(園長)の父は、検挙しても減少しない犯罪の多さの原因を、「幼少期の生活にある」とする高橋系吾先生の言葉に心動かされ、幼児教育の道を歩むきっかけにしたのです。当園はこれからも、この建学の精神を糧に幼児教育に邁進する所存です。(園長)


 ようやく、過ごしやすさを感じる季節になりました。今年の夏は猛暑だっただけに、新型コロナウィルス感染拡大防止に気遣う日々を想うと、過ごし易さを感じる日に安堵しています。

 

 しかし、これからはインフルエンザにも注意しなければなりません。感染したとき、どちらも症状が同じと言われています。すると、この秋冬は健康を維持し、インフルエンザを寄せ付けない対応をとることが大切です。十分な睡眠、食事による栄養補給を心がけ乗り切りたいと想っています。

 

 さて、令和2年8月17日、学校法人畑佐学園 神明幼稚園の創設者(初代理事長・私の父親)畑佐新次郎は、93歳の生涯を全うしました。
 

 大正15年10月、岐阜県大垣市に小売商「かめや」の六人兄弟の次男として生まれ、幼いときは弟を背中に背負い遊んでいたと話していました。幼いときから体力には自信があったそうで、第二次世界大戦では兄に替わり予科練へ志願、広島県呉の海軍兵学校ではランニング訓練の先頭を走っていたそうです。人間魚雷訓練中に終戦となり一命を取り留めたと話していました。
 

 戦後、昭和22年に東京へ出て警視庁巡査となり、苦学して大学法学部にも通い学士を取得しています。東京・亀戸に居住し、警視庁25年勤務、昭和42年12月に船橋へ転居し、昭和43年4月に神明幼稚園を設立し、昭和50年から学校法人となり、平成13年に退職しています。
 

 幼稚園を始める経緯は、東京・荒川区の荒川警察で捜査を担当していたとき、西日暮里の道灌山幼稚園及び道灌山学園保育専門学校を巡回訪問したことと話していました。
 

 昭和30年代から40年代は高度成長時代でしたが、治安が悪く窃盗・放火などが数多く有り、逮捕しても犯罪が減ることはなく、幼児教育の大切さを感じ、道灌山学園・故高橋系吾先生の教えを請うて船橋へ移り住み、神明神社の境内を借用し神明幼稚園を開園したのです。昭和43年4月に開園した時は全園児17名でした。今では、卒園生6,698名に至っています。
 

 開園当時は、県道船取線、市場通りもなく、東船橋駅もなく、田畑や森が広がる場所でした。神明幼稚園を開園する前までは、魚釣りが趣味の父親と、亀戸からトロリーバスに乗り、江戸川区の今井橋付近でハゼ釣りを楽しんでいました。また、昭和30年代の亀戸には草野球を楽しむ場所があり、父親とキャッチボールもしていました。近くには、亀戸天神様があり、親子で歩く散歩コースになっていました。当時の東京下町では内風呂を持つ家庭は少なく、近くの銭湯へ行き、大きく感じた父親の背中を流したものです。家族で富士登山をしました。1964年の東京オリンピックを見に行きました。1970年の大阪万博にも行き人混みの中で「月の石」も見ました。
 

 私が小学生のとき、祖父の生まれ故郷・岐阜県郡上市明方(みょうがた)「畑佐」という場所へ行きました。「畑佐」の名字を持つ人しかいない村で、長良川の支流・吉田川で鮎釣りを楽しんだことを覚えています。今でも時折、岐阜県郡上市を紹介するテレビがあると釘付けになります。
 

 子煩悩さを感じる父親でしたが、幼稚園を始めると、出かけることは少なくなり、食卓では幼稚園園児たちが成長している話を聞いていました。「園児のひとりが、逆上がりができた」「園児たちはピアニカやハーモニカが上手になった」「道灌山学園保育専門学校の教育は素晴らしい」など、園児たちの成長や、恩師の教えを忠実に実行する父親の姿を見ていました。当園が制作している手作りの「大型絵ばなし」は、道灌山学園の教え、父親の教えを受け継ぎ、現在でも園児たちに楽しんでいただいています。


 そのような環境の中で、私は大学を卒業後、道灌山学園保育専門学校へ通うようになり、幼稚園教諭免許を取得したのです。私が幼稚園に関わるようになり、道灌山学園保育専門学校で指導を受けた先生(筑波大学付属小学校教諭・故古屋三郎先生)から、筑波大学で研究発表及び講演会をさせていただいたのも、「父親の功績の賜物」と想っています。体育館玄関に掲示している、文部科学省公認団体・(財)日本教育研究連合会からいただいた「健康と安全のための幼児体育」の賞状と、傍らに掲示する「筑波大学附属小学校体育館での研究授業の写真」がその当時を物語っています。


 振り返ると、父親と長男との関係には、深いつながりを感じます。父親に反発することが多くありましたが、今は、父親と同じような生き方をしていると想うようになりました。
 

 父親であり、先代の理事長の陰を慕いながら、子どもたちのために、これからも頑張りたいと想っています。(園長)


 ひまわりが咲き、セミが鳴き、毎年繰り返す猛暑の夏になりました。暑さだけならば、涼しさを求める手段は数多くあります。しかし今年は、新型コロナウィルス感染拡大防止対策が加わり、マスク着用、ソーシャルディスタンスなど、気を遣うことが増えています。

 

 この病気は「若者は軽症、高齢者は重症」と言われていますが、幼稚園は大人と子どもが集団で過ごす教育機関です。子どもたちに迷惑をかけないためにも、教職員がコロナに感染しないことを心がけ教育活動を行う所存です。父母様も、毎日の健康チェックを実施し感染予防対策をお願いします。
 

 当園からクラスターを発生させないことを心がけ、秋の最大行事「運動会」を行うための準備を開始します。

 

 さて、コロナに対する政府の対応は、4.5月頃と現在を比較すると明らかに違いがあります。4.5月は感染拡大を阻止するため、幼稚園や小中学校の休園休校要請、県をまたいだ移動自粛の呼びかけがありました。しかし現在は、GoToトラベルがあり、大相撲やプロ野球などは観客の人数制限はありますが、実施するようになっています。
 

 政府のコロナ対策は、「コロナが蔓延しても生活を止めない」方針に変化しています。すると、「コロナ対策は個人や家庭、あるいは各事業所でお願いします」としていることになります。コロナ禍後の世界が、リモートワークに変化したことよりも、コロナ禍後の世界は「自己責任の時代」に変化したのです。
 

 私は、この時代を「グループ航海時代」と解釈しています。
 

 最新の船は、大海原に位置していても、GPSやレーダーを駆使し、現在地あるいは仲間の船の位置が判り、座礁することがないように設計しています。このような機器がない時代は、羅針盤や海路図などを基に航海をしていました。その昔の航海は、「迷ったら陸地を探せ」あるいは「母港に戻れ」が基本行動だったようです。

 

 そう思うと、今回のコロナウィルスは、迷走している船を「どのようにして正常な航海に戻すか」が問われています。最先端の科学を駆使し、ウィルスに負けないワクチンを開発することで迷走する船を前進させようと考える人がいます。前進させることには危険があるため、嵐が去るまで母港に戻ろうと考える人がいます。現時点で、どちらが正解とは言えない状況です。母港に戻るとは、家庭クラスター防止、職場内クラスター防止などを行うため、家庭内、職場内の点検と心構え対策を実施することです。
 

 75年前、日本に舵を取る船は、国家主導の「日本丸」しかなかったため、戦争という無謀な航海を国民に強いていました。しかし、75年後の今日は、日本丸以外に、各家庭や各職場が小さな船を持っていて、方向性を各自で選択出来るのです。
 

 現在、インド洋のモーリシャス諸島で日本のタンカーが座礁し、原油が流出、近隣国に多大な迷惑をかけていますが、最後は人海戦術のようです。過去を振り返ると、生活様式が多様化することで、今までの日本文化を大切にするのか、他国文化を真似て日本丸の舵取りをするのか、国家自体が模索していたような気がします。
 

 江戸時代から明治時代に変化するとき「開国鎖国」「尊皇攘夷」で日本国民が争った時代に似ています。
 

 幼児教育でも、刻々と対応が変化しています。


 平成元年度の幼児教育要領に「言ってはいけないこと、してはいけないことがあることに気づく」という文言がありましたが、現在は「良いことや悪いことがあることに気づき、考えながら行動する」に変化し、各自の対応に任せています。すると、「暴力を振るわれたので、考えた結果やり返した」という理論が、一時的であっても成り立ってしまいます。この理論を国家に当てはめると、大変なことになってしまいます。
 

 江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と、国家が選択した施策の比較は出来ませんが、今まで行ってきた事象の検証をしないまま「新しい時代」の対応に追われることが多くなっています困ったら母港に戻る。困ったら家庭に戻る。困ったら身近な仲間でグループを作り行動する。これが生活の原点になるべきと思っています。
 

 当園でも、コロナ対策、熱中症対策を行いながら、運動会など様々な教育活動を実施する所存です。ご家庭でもコロナ対策を行い、子どもたちの健康管理をお願いします(園長)