5月も臨時休園を余儀なくされ、園児及び父母様にはご迷惑をお掛けしています。

 

 幼稚園の先生たちは、臨時休園中に大型紙芝居の作成、絵本の修繕、インターネット配信の動画撮影などをして再開の準備をしてきました。バス運転手さんたちも、花壇で花や野菜を育て、ミニ田んぼを作り、苗を植えました。年長が行うジグソーパズル製作のキットを作り、再開したときに少しでも楽しんでいただきたい気持ちで準備をしてきました。農園では枝豆の収穫時期が近づいています。秋に収穫予定のさつまいもの苗を植え、準備に余念がありません。

 

 6月1日から、「一日おき」プラス「午前保育」体制で活動を開始することになります。健康と安全には十分な配慮を行い再開します。今後もご理解ご協力をお願いします。

 

 下記は、東京理科大教授・竹村政春著「ウィルスの本当を知ると感染予防もわかる(出版社・さくら舎)」の出だしの文章です。

 

ウィルスはどこにでもいます。

空気中にも、水の中にも、私たちの体内にも、今日食べた豚肉やキュウリの中にも、近所のイヌやネコの中にも、庭先のクモや虫の中にも、目には見えないけれども、私たちが生活している環境には、ごく当たり前のように存在しています。雨つぶの中にも沢山いますし、飛び散った飛沫の中には沢山のウィルスが潜んでいるので、私たちは傘をさして歩いても、沢山のウィルスを全身に浴びています。ウィルスに気づくことはないけれども、とても身近な存在なのです。

 

 新型コロナウィルスが感染拡大してから「withコロナ」(コロナと一緒に生きる)を語る人たちが多くなっています。

 

 幼い子どもの命を守らなければならない父母様や幼稚園教諭にとっては「新型コロナウィルスと一緒に生きるとは、とんでもない発言」ですが、人類が地球上に存在する以前から、ウィルスは存在しているのも事実です。新型コロナウィルスは別としても、人間に必要なウィルスも数多くあります。「危害を与えるウィルスは全滅させて欲しい」が本音ですが、それは「人間のエゴ」かも知れません。

 

「この世に存在する生物や物質を、人間がすべてコントロールしようとすることが間違っている」のかも知れません。

 

 新型コロナウィルスが終息した訳ではありませんが、今後は、新型コロナウィルスによる教訓をどのように生かすかが問われてくるような気がしています。地震、津波、地球温暖化、洪水、原発、ウィルスなど多くの課題がありますが、「子どもたちのために」を合い言葉にして、明るい未来を築いていきたいと思っています。

 

 そのような中、人が生きる原点を見つめると、茶道の格言「和敬清寂」が浮かびます。

和=気持ちを一緒にすること。敬=お互いが尊敬し合うこと。清=嘘・偽りのない清らかな気持ちを持つこと。寂=何事にも狼狽えず動じない心を持つこと。江戸時代、千利休が悟った「茶の湯の心」の大切さを感じます。

 

 当園は、茶道講師・行方先生をお迎えし、長年に渡り、年長児が茶道指導を受けています。残念ながら、臨時休園が長期になったことで、令和2年度の年長児の指導はできていませんが、新型コロナウィルスが終息次第実施する予定です。是非、子供たちには茶道を体験して欲しいと思っています。また、当園の茶道の歴史は、先代の園長から続いています。

 

 現在の講師・行方先生は、裏千家・竹内先生一門(講師として来園いただく先生は行方先生を含め5名います)の門下生になります。先代の竹内先生は数年前に他界されていますが、「道理をわきまえた」立派な先生でした。現在の講師も竹内先生の教えを継がれた立派な先生たちです。すると、大切にすべきことは「千利休をはじめ、先人たちが試行錯誤を繰り返し、茶道文化を築いた歴史」です。

 

 先人たちが「感染症をどのようにして克服してきたのか」「どのようにしてまとまりある社会を構築したのか」を知る必要があります。電子顕微鏡でコロナウィルスが確認できる時代になり、新薬が開発され、歴史よりも科学的見地が重視されています。しかし、表面的な実態が把握できても「病気は薬が治すのではなく、人が治す」のです。「医は仁術」という格言があります。

いくら科学が進歩しても、人の心がばらばらでは、まとまりのない社会になってしまいます。

 

 今必要なことは、「先人たちの想いを大切にする」「日本がひとつになる」「ウィルスと生きる生活を模索する」ことではないでしょうか。

 

 先ずは、子どもたちの健康を祈りながら幼稚園の活動を再開します。(園長)

 

日本講演新聞
 (読み切りシリーズ)

   転載して過去を未来へ

   水谷 謹人

  (みずたに もりひと)
 

  【志村けんの影響力】

   「最初はグー」なら

   「最後もグー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かを決める時によく使う「じゃんけん」のようなものは世界中にあるが、初めに「最初はグー」と声を揃えて言うのは日本人だけだそうだ。この「最初はグー」と声を揃える人たちが、ある時期を境にじわじわと増え続け、その勢いは親から子へと伝わり、今や「いきなりじゃんけん」派の人口を超えているという。

 

 その「ある時期」とは、伝説のお笑い番組『8時だョー全員集合』の全盛期である。あの番組の中で志村けんが広めたのだ。

 

 当時、ドリフターズのメンバーは番組終了後にみんなで飲みに行っていて、最後に「誰が支払いを一するか」をじゃんけんで決めていたそうだ。みんな酔っ払っているので後出しする人もいた。そこで志村けんが「最初はグーだょ」と号令を掛け、「最初はグー!じゃんけん、ポン!」とやったところ、全員の呼吸が揃ったという。

 

 その後、ネタとして番組の中で使い出したら、またたく間に全国に広がった。なにせあの番組の視聴率は全盛期には40%〜50%もあった。国民への影響力は半端なかった。

 

 そもそもじゃんけんとは心理的な戦いという側面もあるそうだ。戦いに挑もうとする時、人は無意識に拳を握る。つまり、グーは機能的に一番出やすい手だ。

 

 そして人間の心理として、同じものを2回続けて出すのは多少違和感があるので、「最初はグー」の次はバーとチョキの勝負になる確率が高い。だから、チョキを出せば勝算は高くなる。この心理を知っている人はじゃんけんに比較的強い人だ。

 

 さて、ここからが本題。「最初はグー」があるのなら、最後だってあるはずだ。最後はなんだろう。「日本いのちの花協会」というところが朝刊に全面広告を出した。おばあちゃんの顔がアッブで載っていた。広告のコピーは「さいごはグー。」だった。

 

 こんな文面があった。「人生を最期まで豊かに全うできるように。老いても病んでいても、人間としての尊厳が守られるように。『さいごはグー。』、ひとりでも多くの方に、そうあっていただけますように:.。」何が原因で亡くなったかではなく、どういう気持ちで、どういう人生を生き抜いたかが大事なのだと思う。人生いろんなことがあったけど、最後はグー、すなわち、GOODで終わりたい。日本人なら「グッド」と言いたいところだが、発音は「グー」だ。


 砂場の上にある藤が満開になり、グミの木にも小さな花が無数に咲き誇り、白い花が咲いたコブシの木には沢山の若葉が絡まるように付いています。 しかし、そこには子どもたちの姿がありません。街へ出ても、人通りが少なく寂しい風景です。新型コロナウィルス感染防止と医療崩壊を起こさない対策として、国全体が緊急事態になりました。今は、不要不急の外出を避け、手洗いうがいを遂行し、ソーシャルディスタンスを保ち生活することで、一刻も早く、今までの生活が取り戻せることを願っています。

 

 ご家庭でも、友だちとの関わりが減少し、運動不足になっていると思いますが、国難と言われる事態になっています。しばらくの我慢をお願いします。

 

 こんな時、脳裏を掠める言葉が「負けてたまるか」です。

 

 9年前の平成23年3月11日、東日本大震災が発生し、福島、宮城、岩手県の沿岸部が大きな被害を受けました。私はその当時、全千葉県私立幼稚園連合会の役員をしていたこともあり、その年の秋に、連合会の役員20人ほどで被害に遭った2つの私立幼稚園を訪問し、岩手県私立幼稚園連合会へお見舞いに行かせていただきました。

 

 お見舞いに行く当日、東北新幹線で水沢江刺駅まで行き、そこから三陸鉄道が所有するバスでの移動になりました。太平洋の海岸線に辿り着くと、テレビで見ていた光景そのままの、崩壊した建物・瓦礫・避難テント・仮設住宅を見たとき「唖然として、言葉が出なかったこと」を記憶しています。被害に遭った幼稚園のお見舞いが目的であり、強行スケジュールであったため、大部分の時間は、バスの中から膨大に積まれた瓦礫を眺め、ガイドさんの説明を聞いていました。釜石駅でバスを降りたときも、電車の運行は無く、小さなショッピングセンターは開店していましたが、お客さんも少なく、ひっそりしていました。

 

 ただ、その店の人たちからは、「早く復興したい」という思いの言葉があり、「震災に負けてたまるか」という気持ちを感じたこと覚えています。

 

 その後、訪問した2つの幼稚園の園長先生から、3月11日午後3時過ぎに、園児たちを引き連れ高台に避難したこと。津波が去ってから、2階の教室の天井まである泥を掻き出したこと。ボランティアさんに助けられたこと。周囲の人たちの協力で幼稚園が再開できたことを喜び、我々の訪問を受け容れていただく気持ちになったと話されていました。

 

 岩手県は、新型コロナウィルスに感染した患者が全国最小(4月23日時点で0人)です。

 

 これは、東日本大震災の教訓として、「岩手県民の気持ちがひとつになる」必要性を、身を以て体験しているからに違いありません。絶望感の中で立ち上がった魂が、他県の人たちと比較し、一段上の次元にあるのではないでしょうか。 あの当時、船橋市でも計画停電が数回あり、不便を感じたことがありましたが、岩手県の人たちが経験した不便さとは、比べものにならないと思います。

 

 現在、日本のみならず、世界中でコロナウィルスが猛威を奮っています。感染者減少傾向の国と、増加傾向の国があります。この違いは、国家の施策の違いもありますが、個人主義の強い国と、社会のために役立つ仕事がしたい人たちが多い国の違いがあるようです。日本は県民性によりその傾向が異なり、国民の思いがひとつになっていないのようです。

 

 新型コロナウィルスは、国民の団結力を試しているのです。振り返ると、日本が団結したのは、戦後復興です。国民全員が、敗戦で打ちひしがれながらも、「経済力では負けない、スポーツでは負けない、教育では負けない、文化では負けない気持ちが強くあり」、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを成功させたのです。

 

 残念ながら、日本人は逆境でないと「団結しない国」の傾向がありますが、今こそ、新型コロナウィルス感染防止対策として「団結した行動」が必要です。早急に解決しなければ、2021年のオリンピック開催も危ぶまれることになります。

 

 日本には、昔から「大和魂」という言葉があります。明治の近代化を乗り越え、太平洋戦争の敗戦を乗り越え、ようやく、東日本大震災からの「復興の兆し」が見えるところまできました。この根底にあるのは、日本人の団結力と「負けてたまるか」の気持ちと想っています。

 

 臨時休園が続き、ご迷惑をお掛けしますが、ご理解ご協力をお願いします。 (園長)